「白」の哲学
描き重ねられた「白」の哲学
西洋の視線と東洋の還元
以下は、徳永卓磨自身の言葉による、自らの絵画哲学についての省察である。西洋の批評においてしばしば指摘される「白が多く、平面的である」という評に対する応答として、ここに綴られた。
01
平面性の誤解と、時間の積層
時に西洋の批評において、私の描く画面の「白さ」や「空間の平坦さ」は、立体感の短縮や簡略化と捉えられることがあります。しかし、それは表面的な結果に過ぎません。
私のキャンバスは、まず徹底的な立体の構築から始まります。形を捉え、光と影の構造を深く描き込んだ後、私は太陽の移動と光の移ろいを追いかけ始めます。刻一刻と変化する光をキャンバスに重ねていくとき、密に描かれた色彩は次第に洗練され、やがて眩いばかりの「白」へと昇華していきます。
02
「書き足して白に近づく」— 東洋の視点
西洋画の多くは、影や暗部(黒)を重ねることで世界に立体感と密度を与えていきます。しかし、私の絵画思想の根底にあるのは、「描き足せば描き足すほど、光(白)に近づいていく」というアジア的な絵画哲学です。
描き足せば描き足すほど、光(白)に近づいていく。
これは版画の技法に例えることができます。
西洋画的アプローチ
影や暗部(黒)を塗り重ねることで密度や立体感を構築する。
卓磨(東洋的)アプローチ
描き足せば描き足すほど、光(白)へ近づいていく。
銅版画(エッチング)
線を描き足すほど画面が濃く(黒く)なる。
木版画
彫り進める(手を加える)ほど、版画紙の素地である白が現れる。
私の油彩は、油絵具という西洋のメディアを使いながらも、この「描き重ねることで光(白)に還る」という東洋的・木版画的な精神性を宿しています。
03
カンポ・デ・クリプターナの白
ラ・マンチャの強烈な太陽のもと、白い風車や石灰の街並みに向かい合うとき、私が画面に描く「白」は、何も描かれていない余白ではありません。
それは、時間、光、そして風景との対話が何層も積み重なった末に辿り着く、最も雄弁で満たされた「光の還元」なのです。
— 徳永卓磨